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 北風と太陽

text / tagotago

 5 おはよう

 毎朝、耳を澄ましてタイミングをはかるたび、洋介はどき どきする。昨夜激しかっただけに今日は特にそうだ。

 いつも通りの時刻、隣で出かける気配がする。洋介はアパ ートの自室を出て通路の手すりに寄りかかると、ちょっと空 を眺めるふりをする。ワンテンポ遅れて隣の部屋のドアが開 いて、小振りな革のバッグを肩にかけたスーツ姿の綺麗なお 姉さんがあらわれた。

 「おはよう」
 彼女は、毎朝合うたびに洋介を見つめるようににっこり微 笑んでそう声をかけてくれる。

 洋介は学校が近いので本当はもっと遅い時間に出かけても いいのだが、お姉さんと顔を合わせるのが楽しみでわざわざ 早起きしている。お姉さんは毎朝きっちり同じ時間に出かけ るから、タイミングを合わせるのは簡単だった。

 洋介の一家は、家の建てかえのため一時的に賃貸住宅に引 っ越すことになった。間取りの関係で兄弟同じ部屋になりそ うだったが、洋介は高校受験に差し支えると両親に無理を言 って、安いアパートを一部屋借りてもらった。目と鼻の先に 家族の済む建物があるとは言え、憧れの一人暮らしである。

 越してきて驚いたのは部屋の壁の薄さだった。安アパート とはいえ、これでは隣人の足音やテレビの音が筒抜けだ。特 に、綺麗なOLのお姉さんが住んでいる左隣とは、間に押し 入れもなく壁一枚でじかに接している。

 お姉さんの電話の声やトイレを流す音まではっきり聞こえ て、洋介は落ち着かなかった。勉強机に向かっていると、鼻 歌や独り言ともため息ともつかない声が聞こえてきて、年頃 の洋介はつい聞き耳を立ててしまう。

 越してきて二、三日で洋介は隣のお姉さんの生活リズムが すっかり判ってしまった。そして、夜、お姉さんが寝る前の 時間になると、壁ぎわにあるらしいベッドが軋む音が聞こえ てくるのに気づいた。

 お姉さんのベッドがリズミカルに軋む音が十分ほど続き、 軋みがぎくんぎくんと大きくなって、ふっと静かになる。し ばらくすると、決まってトイレに立つ音がする。明らかに部 屋の中にはお姉さんひとりで、他人がいる気配はない。

 その音は洋介にある想像をさせた。だが、あの綺麗なお姉 さんが密かにそんな行為をしているとは洋介には思えなかっ た。

 盗聴はいけない。小心な洋介はお姉さんに済まない気がし たが、好奇心には勝てず翌日壁に直接耳を当てて聞いてみた。 と、ベッドの軋みと絡み合うように乱れる吐息ときぬずれが 微かだが聞こえてきた。間違いなかった。
 あのお姉さんがオナニーをしている!
 洋介は思わずその場で自慰にふけった。

 その日から、毎朝偶然のふりをしてあいさつしながら、お 姉さんのやさしい笑顔に見とれ、夜になると壁ぎわに寝ころ んで隣室の音を聞きながら手淫をするのが洋介の日課になっ た。

 壁に耳を当てるコツを覚えたせいか、お姉さんの漏らす声 も聞こえるようになった。
 「…ふ……は……ぁんっ…」
 朝のさわやかな顔と、快感に震えるリアルな声とのギャッ プに洋介のハートはますますときめいた。

 「…ぁ、いく…いく……いっちゃう……」
 一週間も続けるうち、そんな声さえ聞こえ出した。
 「…い…く…っ…」
 その声にタイミングをあわせて頂点を迎えるのが洋介の無 上の悦びになった。お姉さんの笑顔を思い浮かべながら、お 姉さんの絶頂と同時に射精するたび、受験のストレスをお姉 さんに癒されるような、爽快な解放感と充実感に洋介は満た されるのだった。

 元気な盛りの洋介は、時々体力の限界までオナニーしたい 衝動に駆られることがある。お姉さんにもそんな日があるの だろうか、昨日の夜は特に激しいようだった。普段なら十分 ほどで終るのに、二十分経ってもまだ終らない。いつも以上 に乱れながら、終りが来るのを惜しむように寸前で踏みとど まってオナニーを楽しんでいるようだ。

 洋介は、お姉さんより先に射精してしまわないよう、はや る気持ちを懸命に押さえながら手淫を続けた。追い込みをか けるようにお姉さんが小刻みな声をあげるたび、暴発しそう になる。だが、歯を食い縛り全身をよじって何度ものピンチ をしのいだ。

 お姉さんに壁越しに追い上げられながら、こみ上げてきて は寸止めで耐える極限状態に時間の感覚も無くなりかけた頃、 ようやくお姉さんがあの声をあげた。
 「ぁぁ……いきそう……はぁぁぁ……いっちゃう…」
 待ちに待った瞬間だった。洋介も心置きなく加速を始めた。 ここまでくれば、洋介はお姉さんの生理的リズムを体得して いる。
 (くる。ここで、くる!)
 予想通りのタイミングで、お姉さんが絶頂の声をあげた。 毎日聞き慣れたそれよりも長く激しく、声は何度も反復され た。
 その反復のリズムに合わせるように、洋介もいつにない勢 いと量で何度も飛ばした。精液が噴出するたび、痺れるよう な快感がペニスを突き抜ける。
 「ううっ。うっ。うっ。」
 ギリギリまで耐え抜いたあとの圧倒的な快感に、洋介は思 わず声を漏らしていた。

 やばい。
 聞こえてしまっただろうか。瞬時に素に戻った洋介が全身 を縮こまらせて耳を澄ます。
 しばらくして、お姉さんのけだるそうなつぶやきが聞こえ た。
 「…ふう…よかった…」
 何ごとも無かったように、いつも通りお姉さんがベッドか ら立ち上がりトイレに入る音が聞こえた。
 助かった。洋介は安堵しごろりとあお向けになると、改め て最高だった射精の余韻に浸った。

 そして今日も、スーツのお姉さんがドアの前でにっこり微 笑んで洋介を見つめてくれる。
 「おはよう」
 だが、普段ならすぐに階段を降りていくお姉さんが、まっ すぐ洋介を見つめたまま言葉を続けた。
 「昨日はありがとう」
 「え?」
 「初めて、声出してくれたでしょ。私うれしかった」
 「あ…」
 「毎朝ドアの前で待っててくれてるよね。私、いつもキミ の顔を見ながら思ってたの。昨日はどうだったかな、気持ち 良くできたかなって」
 「……」
 「いつもより、うんとよかったみたいね、昨日の」
 ただ絶句している洋介の目が泳ぐ。お姉さんはやさしく洋 介を励ました。
 「いっぱい頑張ったもんね。本当はね、昨日はキミを試し てみたの。でも、キミがすごい頑張ってるのが伝わってきて、 とってもうれしかった」

 お姉さんが顔を寄せてささやく。
 「今日も、一緒にしようね、」
 ちょっといたずらな目で言葉を切ると、お姉さんは唇で、 お、な、に、と形を作ってみせて、くすくす笑った。

 洋介に軽く手を振ると、お姉さんは軽快な足取りで階段を 降りていく。洋介はドアの前に棒立ちのまま、颯爽と歩いて いくお姉さんの後ろ姿を見送った。雲を浮かべた青空がまぶ しかった。

 

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